ちょっと暇ネタです。12/15放送の「ブラタモリ #121 東京・豊洲」見ましたか?湾岸民から見ても、自分の地域に誇りが持てる素晴らしい構成でしたね。マンション購入とは直接関係ないのですが、番組を見ていくつかのらえもん的いいね!ポイントを挙げておきます。
画像:ブラタモリ番組ページより
1:豊洲エリアを負のイメージが付きやすい「工場・埠頭跡地」ではなく、「戦後の日本と東京の復興を支えた土地」として再定義したところ
豊洲市場移転問題以来、湾岸住民特に豊洲エリアに住んでいる人は、外部から投げつけられる心無い言い方に傷ついていました。
曰く、「ガス工場跡地に食品市場なんてとんでもない!」「豊洲全体が汚染地域」「猛毒のベンゼンやシアンが地中に!」「豊洲に移転するなんて築地の歴史を破壊する」「とんでもない豊洲という土地(by 都民ファーストの会・伊藤悠都議)」などなど。朝や昼のワイドショーに夜のニュース、雑誌、新聞などでもう毎日のようにdisられたの、言ったり書いたりした方は忘れたかもしれないけど、こっちは一生忘れませんからね。
そんな中、豊洲市場がオープンしていきなり手のひら返しをし始めたマスコミたち。しかし、一度塗ったレッテルをどう落とし前つけるのか、その一つの答えがブラタモリの豊洲編だったと思うのですよね。番組の中で豊洲地区はこう紹介されていました。
・敗戦後、東京は焼け野原に。しかし東京湾一帯の土地が米軍に接収されてしまった。
・このままでは、復興資材が届かずに復興が何も進まない。そこで目をつけたのが豊洲だった。
・大急ぎて今の新豊洲部分を作り、船から荷物を降ろせる埠頭とした。
・運び込まれたのは大量の石炭と鉄鋼だった。
・大発電所とガス工場を作り、製鉄工場もできて、鉄道を通した。ここから東京と日本各地に復興物資とエネルギーが配られた。
・まさに豊洲ができたことで、日本の高度成長時代を迎えることができた。
・時代が平成に移り、再開発されて高層マンションが立ち並ぶエリアになった。ここは東京の人口を吸収している。
物事はいろんな面があるのですが、肯定的に捉えればこういう紹介もできるのだなと、目からウロコの思いで見ていました。共産党が仕掛けた「豊洲市場の地下から環境基準の4割のヒ素が」ってのをトップニュースにしたNHKから豊洲民への詫び状だったのかもしれません。
2:旧東京港防波堤と選手村を通じて、豊洲・台場・有明・晴海を一帯として紹介した
有明と豊洲の間の緑地帯。よく見ると石積みになっていて、これの由来を知っている人も少ないと思ったのですが、旧東京港の防波堤でした。これは豊洲からお台場まで伸びていて、東京港からの波と風避けよなっていました。今は、臨海副都心とその先の中央防波堤がある関係で単なる緑地となっていますが・・・
豊洲市場とオリンピック競技場エリアの間の緑地帯。旧防波堤。
番組では隣の選手村を通じて臨海エリアを一つ一つの島ではなく、一群として紹介していましたね。これも良かった。
3:豊洲にも歴史がある。遺構をひとつひとつ訪ねて紹介。
豊洲消防署前の坂、防潮堤の跡地、豊洲西小学校横の埠頭跡地、東京ベイ信金裏のY字路など、ところどころに残る昭和の後を丹念に拾い上げて紹介していました。ほとんどの番組が豊洲の今を紹介する中、こうした豊洲の歴史に光を当ててくれるのはブラタモリならでは。
豊洲も3万5千人が住む街なのですから、自分たちの土地に歴史が欲しいですよね。それを補完してくれるとてもいい番組だと思いました。
見逃した方、再放送リクエストをしたらいかがでしょうか。
豊洲の民のとなって5年ほどとなります。それからこちらのブログは度々読んでおります。
最初はいずれ転売して利益出ればいいか、くらいの感じで住み始めましたが、不思議なもので、市場問題でより愛着は沸いた気がします。
我が街はこの程度の偏向報道で潰れる街じゃねえぞー、と。
豊洲は外から人は入ってきますが、中の人は出て行きません。
みな口を揃えるのは便利すぎて他の街には移れない。
それだけでこの街の評価は十分かなーと思います。
ブラタモリは見ていませんが、将来、住職商一体開発の模範例として光を浴びていくことになると思います。