湾岸温故知新はこの回のためみたいなもんです。
鈴木都知事が強引に進めて、青島新知事になって優柔不断の上に中止を決定した「世界都市博覧会」。実は詳しい資料をネットで漁ったのですがどこにもあがっていません。
今でこそ”お台場”は日本国民全員が知っている地名ですが、東京臨海副都心事業化計画が決定された平成元年当時は、東京都民ですら知らないただの埋立地でした。ここにテレポートとインテリジェントビル、住居、交通インフラを一気に作り上げる計画でしたが、知名度のなさは致命的でした。
建築家丹下健三設計の東京都庁舎が竣工した平成元年、臨海副都心事業の推進・アピール役として突如「東京フロンティア」構想が持ち上がります。
東京フロンティアの理念と目的:
「東京フロンティア」は、世界の大都市が抱える課題、将来帳面するであろう問題を解決すると同時に、21世紀における人間都市の理想を追求しようとする運動の契機となる一大行事である
↑上記理念ですが、まさに「ちょっとなにいってるかわからない」。
丹下健三と鈴木都知事の結びつきは強く、二人は東京オリンピック・大阪万博・都知事選出馬と節目節目で巨大プロジェクトを一緒に仕事をした仲でした。既に80近い巨匠二人のコンビが最後に華を咲かせたいと目を付けたのが、臨海副都心計画でした。東京都庁内にこのコンビを止めることができる人はおらず、平成2年11月に「世界都市博覧会-東京フロンティア-」の開催が発表されます。
当初は東京万博の開催を目指していたと思われますが、つくば万博、花の万博とあまりにも時期が近く、万博を名乗れなかったのではないでしょうか。
新宿の東京都庁の周りを歩くと、地面はコンクリートとアスファルトで覆い隠され、完全な歩車分離が実現されています。ここに自然はなく、あくまでも直線の人工物が都市の中心です。
上記構想懇談会資料にのっている1枚絵は、丹下健三のモダニズムをよく表しています。直線の街路と両脇の高層ビル、完全な歩車分離とコンクリート上で行われるフェスティバル。
新宿副都心のような街をさらに拡大して臨海部に作りあげるような計画です。
丹下健三は、日本では建築家でしたが、海外では都市計画の人です。彼の考える都市計画スケールを日本では表現できませんでしたが、本国でできる最大最後のチャンスが臨海副都心計画だったのでしょう。つまり、東京フロンティア=世界都市博覧会は丹下健三が臨海副都心計画を自分の手で作り上げる政治闘争の側面がありました。もともと臨海副都心は、東京の多芯化とテレポート+インテリジェンスビルの開発計画がはじまりでした。ここに「都市の営み体験」とか「都市問題の解決」の展示をしても食い合わせが悪いでしょう。
結局この構想案は実現しませんでしたが、世界都市博覧会の開催は決定されてしまいました。ここから中止までの約4年間、関係者の奔走には敬意を表します。
次回は、幻の世界都市博覧会の出し物・規模感について述べましょう。
参考文献:
新しい都市づくりの運動・東京フロンティア
世界都市博覧会~東京フロンティア~ -構想から中止まで-
臨海副都心物語
細かいことですけど、青山新知事じゃなくて青島新知事かと。